おぶぶインターン生

インターン生と行く。和束町名所巡り。【聖武天皇 皇子 安積親王 和束墓】

(null)和束町の真ん中を通っている府道5号線を走っていると、LAWSONさんの前くらいで、面白い形の丘が見えてきます。


(null)安積親王陵墓(あさかしんのうりょうぼ)という古墳で、地元では、たいこ山と呼ばれています。

(null)この安積親王は、歴史上結構重要な人だったようです。

そんな名前聞いたことないよーって思いました?

実は皆さんご存知の 奈良の大仏さんで有名な聖武天皇の関係者だったりします。

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安積親王は、聖武天皇の第五皇子(第二皇子とも)で、聖武天皇の第一皇子の基皇子(もといおうじ・皇太子) が、幼くして亡くなり、聖武天皇の最有力の後継者と目されていたようです。

当時、日本の最高権力に一番近い方だったんですね〜

しかし、その頃の日本は今では考えられないくらい、切った張ったの殺伐とした時代だったようです。

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皇親勢力と外戚(天皇の母方親族)の藤原一族との、熱いバトルがバッチバッチ行われていたようです。

そんな中、疫病が流行ったり、反乱がいろいろあったり大変な事になってたりだったんですね〜

安積親王も和束町の隣町加茂町にある恭仁京にて、藤原仲麻呂に17歳の時、謀殺された(病死説も)そうです。

結局、その権力争いは藤原一族が勝利し、その濃い系譜である聖武天皇の皇女、阿倍内親王が孝謙天皇になりました。

しかし時間が経ち、その孝謙天皇が孝謙上皇になったり、藤原仲麻呂も皇族以外で初めて太政大臣になったりしたのですが、その後2人は対立し藤原仲麻呂も琵琶湖にて斬首されたそうです。

怖いですねードロドロしてますねー

今はこんなにノンビリ、和やかな感じなのですが…。

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そんなお話しをインターン生としつつ、和束町の名所巡りしてみました。

なんだか切ない歴史におもいをはせながら、このお茶をどうぞ

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hiro
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一瞬一瞬を楽しみ、
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焚き火大好き。
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京都おぶぶ茶苑の創業者の一人。日本茶インストラクター第一期(01-0241)
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